インドネシア・ツバメの巣採集の旅

インドネシア・ツバメの巣採集の旅

期待に胸をふくらませながら、インドネシアのジャカルタへ出発。空港到着後すぐに車で、16世紀に強大なマタラム王国があった地~中ジャワへと向かった。そこには、小さな町や村のなかにひっそりと点在する燕の家がある。実のところ、ほとんどの燕の家の主はあまり人に知られることなく、しっかりと燕の家を守っている。我々は長年にわたる家主との信頼関係があるので、こうして今回のようなツバメの巣の生態をより深く理解する機会を持つことができた。

道は山の起伏を通り、険しい渓谷を渡り、延々と続く棚田や、広々した田園に垣間見える小さな村の民家を後にしていく。幾重にも連なる棚田や椰子の林の上には、青空と白い雲が広がる。人の声が響く市場をいくつか過ぎ、時たま、頭に白い布を巻いた回教徒の学生がすれ違っていく。異国情緒がたっぷりだ。車で約3時間ほど、ついに目指す燕の宿へと到着した。一見したところ、ごくありふれたジャワの古い民家と何ら変わらない。白い外壁はすこしはげ落ち、他の民家の間に軒を構えながら、ただひとつ他と違うことといえば、30センチばかりの横に細長い長窓(穴)があること。これは燕が家に出入りしやすいよう作られたものだ。


実際のところ、これらの燕が棲む家は数十年、なかには百年の歴史をもつものもある。たぶん最初の頃は、わずか数羽の金絲燕が軒下に巣を作るのみであったろう。それが年月の経過とともに繁殖を続け、後には1軒まるごと燕の家となった。人によっては、日ごとに増えていく燕のために、燕の家を建て増ししたり、巣のためのスペースを増やしたりしている。インドネシア現地では、燕の家を持てることは、前世の行いが良かったことへの報いだと言われている。それは、燕の巣の高額な価値と、健康食品としての効果からである。

我々が最初の燕の家に着いたときは、すでに夕方の5時頃になっていた。そのとき突然、町中のスピーカーから回教の祈りの言葉が流れ始めた。街中が静まるなか、燕の家だけがにぎやかだった。というのも、この時間帯はちょうど燕が巣に帰る時間だからだ。顔を上げると、数百羽の燕が天空に円を描きながら、家に入る準備をしている。このとき、家主はすでにこの華麗な演出が始まることを予期していたかのように、すばらしい景色に驚嘆する私たちのために軽食と濃いお茶を用意してくれた。一時間もたつと空は暗くなり、燕たちも家の中へ入り、巣を築いたり休んだりしている。家主によると、金絲燕たちは壁の裏側の涼しい場所を好んでいるそうだ。とくに海側や川岸沿いの古い建物だ。翌日はもっと興味深い体験が待っていた。早朝、我々はいよいよ燕の家へ見学に入ることに。だいたい8時頃、燕たちは次々と住み家から飛び出し、餌を探しに近くの森へと去って行った。

ふつう、燕たちは小さな昆虫を主食としているが、家主たちはこれらの燕に餌をやることはない。燕たちは、もし近くに食べ物がなければ、ここから30キロほど離れた場所、或いはもっと遠くまでよく餌を探しに行く。この時、家主は大きな鍵の束を取り出して、ぶあつい鉄のドアを一つ一つ開け始めた。一つの壁の厚さは少なくとも30センチはある。家主は笑いながら、この壁なら刀でも鉄砲でも壊れないよ、と言った。たとえ泥棒がこの家に入ってこれないと。たしかに、仮に私たちがこれら鍵の束を手に入れたとしても、一日かかっても開けきることができないだろう。それほど中は複雑なのだ。



 

15分後、三つ目の扉が開かれると、突然鼻を突くにおいが迫ってきた。何羽かの朝寝坊の燕が、突然の光に驚いて飛び出していく。我々は、家主に言われたとおり、専用の靴に履き替えて真っ暗な燕の住みかへ入っていった。屋外の強烈な光は、横型の細長い窓を通して部分的に差し込んでいる。部屋に入った最初の感覚は、まず地面が柔らかく湿っているということだったが、それは床に黒い砂利が敷き詰めてあるせいだった。見上げてみると、横一列の木材のあちこちに燕の巣が並んでいる。いくつかの巣には、一、二羽の燕がまだ残っている。家主によれば、いくつかの燕はちょうど卵をかえしていたり、ひなに餌をやったりしているところだそうだ。ひなの燕は、一般的に40日から50日しなければ飛ぶことはできない。

木材の上に作られた燕の巣のうち、半分は草燕(swallow bird)のもので、これは9割が草と泥で作られており、この種類はアマツバメ科の金絲燕とは異なる。もう半分が食用になる燕の巣で、アマツバメ科の金絲燕(Swiftlet Bird)が作ったものだ。この種の燕は9センチから10センチしかなく、草燕の約半分だ。金絲燕が作る巣は、オスとメスの燕が毎日唾液を塗り固め、約45日かけて完成させる。もちろん、巣の中には羽毛や細かい砂などが混じってしまうが、ほとんどの部分は唾液でできている。はしごに登って一つ一つの巣をよく見てみると、いくつかの巣には卵が二つずつあることを発見した。家主によると、金絲燕は一回に卵を二つずつ産むとのことだ。家主たちは巣を採集する前に、なかに卵がないか、それらの卵がきちんとかえり、小鳥となって飛んでいったかどうか、それらをきちんと確認してから巣を採集する。
 


実際のところ、燕の巣の保護に関する問題はしょっちゅう取りざたされており、燕の巣を食用とすることがアマツバメ科の金絲燕に与える影響について、常に関心が持たれている。過去十数年來、燕の巣の主要産地である東南アジア各国では、金絲燕を保護する計画が次々と出され、燕の巣の採集量が厳しく制限されてきている。特に、洞穴における採集過程がきわめて難しいため、採集者がうっかり巣の中の卵をつぶしたり、まだ燕のヒナがいるのに気づかなかったりすることがあり、そのため、より厳格な採集ルールが設けられているのだ。

いっぽう、屋燕に関してはそうした問題は薄い。屋燕の場合は採集が容易であり、家主としても、これらの燕が順調に繁殖してもっと多くの巣を作ることを期待するからだ。実際、燕は作った巣を捨てて二度と利用することはない。これらの巣は、単にヒナを育てるためだけのものであり、そこでずっと住むわけではないからだ。巣を離れた燕たちは、別の場所でまた新しい巣を作り直す。我々が購入する燕の巣はほとんど屋燕が主流だ。実のところ、屋燕と洞燕の栄養価や成分はほとんど変わらず、ただ食感が少し違うだけだ。洞燕は弾力性があり、煮込む時間が少し長いし、値段もかなり高くなる。なので、我々もどちらかといえば屋燕を推薦する。屋燕は食感が割となめらかである。

燕の巣をじっくり見てみると、多くは灰褐色で、なかには黄色または赤褐色のものもある。家主によれば、それは採集時間と関係があるらしい。巣は放置すればするほど色が濃くなっていく。黄色の巣は、ほとんどが5ヶ月以上すぎたものだ。なぜなら、燕の巣には水溶性タンパクが多量に含まれており、空気中のミネラル分に触れると徐々に色が濃くなっていくのだ。言い伝えとして言われている、血燕は巣を作る過程で疲れ切って血を吐くために赤くなるというのは誤解である。また、市場にでている燕の巣で、明らかに白すぎる場合は漂白をした可能性が高い。
 


 

我々はその翌日、提携している洗燕工場を訪ねた。採集したばかりの燕の巣を原燕と呼ぶが、それは何通りもの人工清浄作業を通じて食用とすることができる。まずは、原燕を少し水につけて柔らかくし、続いて細くとがったピンセットで、中に混じっている羽毛や雑物を取り除く。見ていると、ここで作業をしている女性たちが皆若いことに気づく。これは、異物を取り除く作業には良好な視力と忍耐力が必要なためだ。

平均的には、ベテランの作業員でも一日にせいぜい7~8つの巣を清浄するのがやっとだ。もし清浄の過程で、羽毛や雑物が多すぎて、巣の形をとどめなくなった場合、それは燕條(棒状のもの)または燕砕(ばらばらのもの)として分別される。最後に、燕の巣はその大きさと厚さによって等級付けされる。その後、カゴのなかで自然乾燥してから、製品となって台湾の我々のもとへ運ばれる!
 


この三日間の燕の巣の旅で、燕の巣における神秘のベールが開かれた。今回のレポートによって、燕の巣が実はとても歴史あるもので、多くの専門家が推奨する優れた健康食品あることを、皆様にご理解頂ければ幸いである。

 

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